解説
[1837~1884]幕末から明治時代の儒者、新聞人。天保8年2月16日生まれ。成島筑山の3男。幕臣。奥儒者。のち騎兵頭、外国奉行、会計副総裁。維新後は朝野新聞社長として新時代を風刺、批判し政府の言論弾圧とたたかった。明治17年11月30日死去。48歳。江戸出身。名は惟弘。字は保民。通称は甲子太郎。別号に確堂、何有仙史。著作に「柳橋新誌」「航西日乗」など。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種4A号6側) 墓正面:柳北先生墓 撮影:2018年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |