徳川嘉千代

2014/11/10

2018年 東京都

解説

[1819~1820]江戸時代後期、徳川家慶の次男。法号は璿玉院。

お墓

場所:増上寺(東京都港区芝公園4-7-35)
増上寺→増上寺 合祀塔(昭和33年)
撮影:2018年

関連人物

コラム

徳川嘉千代(璿玉院)のお墓は、昭和33年(1958年)に徳川家墓へ合祀され、増上寺の新たに設けられた墓域に移転されました。では、改葬前のお墓は増上寺のどこにあったのでしょうか。増上寺の絵図によると、本堂に向かって左側の墓域に、異母兄である竹千代(玉樹院)のお墓と並んで建立されていたようです。

出典:TOKYOアーカイブ

「大日本東京芝三縁山増上寺境内全図」には、塀と門で囲まれた広い墓域が描かれており、竹千代と嘉千代のお墓が並んでいたことが分かります。二人はどちらも幼少で亡くなりましたが、なぜ広い専用墓域を与えられたのでしょうか。竹千代は正室の子で、“竹千代”という名が示す通り、将軍家の世子としての位置づけがあったからでしょう。そして、嘉千代は竹千代の死後5年を経て生まれた男児で、将軍家の期待が込められ、世子として扱われたのかもしれません。


嘉千代のお墓と思われる写真を見つけました。文字が見づらいのですが、「璿玉院殿俊山嘉光大童子」の一部が確認できるため、間違いないでしょう。将軍家の他の子女とは異なる特別な墓の形からも、嘉千代が世子扱いされていたことがうかがえます。

出典:ColBase

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