解説
[1831~1867]江戸時代後期、第121代天皇。在位1846-67。天保2年6月14日生まれ。仁孝天皇の第4皇子。母は藤原雅子(新待賢門院)。父の死により皇位をつぐ。攘夷鎖国をのぞみ、幕府が勅許をまたずアメリカなどと修好通商条約に調印したため、一時譲位を表明。その後公武合体をうけいれ、妹の和宮を将軍徳川家茂に降嫁させた。慶応2年12月25日死去。36歳。墓所は後月輪東山陵(京都市東山区)。幼称は煕宮。諱は統仁。お墓
場所:後月輪東山陵(京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内) 撮影:2008年 |