解説
[?~1753]江戸時代前期から中期の本草家。延宝のころ大坂への途中台風にあい清(中国)に漂着、その地で医術、本草学をまなんだという。帰国後幕府の採薬使として全国を踏査した。宝暦3年1月26日死去。没年齢には88歳、104歳などの説がある。陸奥盛岡出身。名は照任(輝任)。字は伯重。通称は友之進。別号に将翁軒、丹山。著作に「採薬使記」「御薬草御用勤書覚」など。お墓
場所:梅林寺(東京都台東区三ノ輪1-27-3) 墓正面:本草家阿部代々之標 撮影:2023年 |
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