解説
[1824~1883]幕末の大名。文政7年3月15日生まれ。美濃(岐阜県)高須藩主松平義建の次男。嘉永2年宗家の尾張名古屋藩主徳川家14代となり、藩政改革を実行。日米修好通商条約の調印に反対、将軍徳川家定の継嗣問題でも井伊直弼と対立し隠居謹慎。のちゆるされ、公武合体運動に尽力。明治16年8月1日死去。60歳。初名は義恕、慶恕。お墓
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| 所:西光庵(東京都新宿区新宿6-15-2) 墓正面:従一位勲二等徳川慶勝卿墓 撮影:2025年 |
メモ
正室・準子の墓は、同じく西光庵の尾張徳川家墓域にあります。準子は二本松藩主・丹羽長富の娘です。なお、次の藩主・茂徳の正室も丹羽長富の娘でした。御三家の正室に外様大名の娘が続けて迎えられた理由は不明です。![]() |
| 徳川準子の墓 撮影:2025年 |


