解説
[1832~1899]明治時代の政治家。天保3年3月23日生まれ。もと肥前佐賀藩士。藩校弘道館にまなび、勤王派として活躍した。維新後徴士となり、京都府判事、軍務官判事を歴任。江藤新平らとともに東京遷都を実現させる。東京府知事、法相、文相、枢密院議長などをつとめた。明治32年9月26日死去。68歳。通称は幡六、民平。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ5号7側) 墓正面:正二位勲一等伯爵大木喬任之墓 撮影:2020年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |