解説
[1767~1825]江戸時代中期から後期の力士。明和4年1月生まれ。浦風部屋に入門、谷風の内弟子として修業。天明8年出雲松江藩のお抱え力士となる。寛政7年当時最高位の大関に昇進。197cm、170kgの巨体、怪力のため禁じ手が3手あったという伝説をもつ。文化8年引退。幕内成績254勝10敗21分、勝率9割6分2厘。13年間の巡業日記をのこした。文政8年2月11日死去。59歳。信濃(長野県)出身。本名は関太郎吉。お墓
場所:報土寺(東京都港区赤坂7-6-20) 墓正面:雷聲院釋関高為輪信士 撮影:2018年 |
場所:西光寺(島根県松江市和多見町29) 墓正面:雷聲院釋関高為輪信士 撮影:2024年 |