解説
[1867~1952]明治から昭和時代前期の司法官、政治家。慶応3年9月28日生まれ。検事総長、大審院長をへて、大正12年第2次山本内閣の法相。13年右翼結社国本社を結成。昭和14年組閣したが、独ソ不可侵条約の締結を機に総辞職。のち第2・第3次近衛内閣の国務相。戦後、A級戦犯容疑で終身禁固刑。昭和27年8月22日死去。84歳。美作(岡山県)出身。帝国大学卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(10区1種1側) 墓正面:平沼騏一郎墓 撮影:2019年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |