解説
[1521~1573]戦国から織豊時代の武将。大永元年11月3日生まれ。武田信虎の長男。天文10年父を駿府の今川氏のもとへ追放して甲斐(山梨県)の国主となる。信濃(長野県)の諏訪、伊那などを攻略、川中島で越後(新潟県)の上杉謙信と数度にわたってたたかう。駿河(静岡県)をも支配し、北条氏と和議をむすんだのち元亀3年京都をめざして軍をすすめ、織田信長の同盟軍徳川家康を三方原でやぶったが、翌4年4月12日病没した。53歳。幼名は勝千代。名は晴信。お墓
場所:恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280) |
場所:武田信玄墓所(山梨県甲府市岩窪町217) 墓正面:法性院大僧正機山信玄之墓 撮影:2009年 |
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550) 撮影:2018年 |