解説
[1646~1709]江戸幕府5代将軍。在職1680-1709。正保3年1月8日生まれ。徳川家光の4男。母はお玉の方(桂昌院)。上野(群馬県)館林藩主から兄徳川家綱の養子となり、延宝8年将軍職をつぐ。堀田正俊を大老とし、治世不良の大名や不正代官を処分するなど文治政治(天和の治)を推進。しかし、その後柳沢吉保らをとりたて、奢侈にふけり、護持院、護国寺などを建立し、幕府の財政を悪化させた。人々をくるしめた生類憐みの令により犬公方と称された。宝永6年1月10日死去。64歳。幼名は徳松。法号は常憲院。お墓
場所:寛永寺(東京都台東区上野桜木1-14-11) 撮影:2010年 |