解説
[1835~1869]幕末の武士。天保6年生まれ。武蔵多摩郡(東京都)の農家の出身。近藤周助に天然理心流の剣術をまなぶ。文久3年新選組結成に参加し、その副長として倒幕運動の警戒にあたり、池田屋事件などで活躍。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、各地を転戦。榎本武揚のもと箱館五稜郭で抗戦中、明治2年5月11日戦死。35歳。墓所は石田寺(東京都日野市石田)。変名は内藤隼人。お墓
場所:石田寺(東京都日野市石田1-1-10) 墓正面:歳進院殿誠山義豊大居士 撮影:2008年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |