解説
[1884~1980]大正から昭和時代の哲学者。明治17年9月30日生まれ。カント哲学を専攻し、昭和6年母校京都帝大の教授。戦後は一高校長ののち、25年第3次吉田内閣の文相となる。六三制義務教育の充実、給食制度の推進につとめたが、道徳教育を強調し、「国民実践要領」を提案して批判をうける。36年文化功労者。39年独協大初代学長。昭和55年3月6日死去。95歳。神奈川県出身。著作に「道理の感覚」など。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種8号10側) 墓正面:天野家 撮影:2024年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |
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