解説
[1865~1942]明治から昭和時代前期の東洋史学者。元治2年2月4日生まれ。学習院教授、母校東京帝大の教授などを歴任。研究はアジア全域の歴史、民俗、言語、宗教など広範囲にわたる。「東洋学報」の刊行、東洋文庫の設立と運営など、東洋学の発展と後進の指導につとめた。昭和17年4月1日死去。78歳。上総(千葉県)出身。本名は倉吉。著作に「西域史研究」「卑弥呼問題の解決」など。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種8号12側) 墓正面:白鳥家墓塋 撮影:2024年 |
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