解説
[1665~1713]江戸時代前期から中期の大名。寛文5年6月26日生まれ。出雲松江藩主松平直政の4男。出雲母里藩主の兄隆政が嗣子なく没したため領地をかえしたが、松江藩主の長兄綱隆よりあらためて1万石を分知され、寛文13年母里藩主松平(越前)家2代となった。元禄7年奏者番となる。正徳2年12月27日死去。48歳。初名は直能、のち直高。通称は頼母。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(10区2種16側) 墓正面:法性院殿 撮影:2022年 |
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