阿部忠秋(あべ ただあき)

2018/07/10

2022年 大名 東京都

解説

[1602~1675]江戸時代前期の大名。慶長7年7月19日生まれ。阿部忠吉の長男。徳川家光に小姓としてつかえ、寛永10年松平信綱らとともに六人衆(若年寄)となり、幕政に参与、12年老中。同年下野(栃木県)壬生藩主、16年武蔵忍藩(埼玉県)藩主阿部家初代となる。8万石。延宝3年5月3日死去。74歳。

お墓

場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(6区1種5側)
墓正面:阿部家歴代之墓 撮影:2022年

コラム

墓域には5基のお墓があり、右から「阿部家歴代之墓」、「阿部家之墓」、「正五位子爵阿部正寛之墓」、「正五位子爵阿部正寛之墓」、「子爵阿部正一墓」、「阿部家之墓」です。

阿部忠秋のお墓はもともと東京都台東区の西福寺にありました。しかし、昭和3年(1928年)9月に、多磨霊園へ改葬されています。墓石の裏面によると、「阿部家歴代之墓」には22霊、「阿部家之墓」には43霊が西福寺から改葬されたようです。

後苑荘の著書『墓碑史蹟研究 第2巻』(1927年)によると、西福寺にあった阿部忠秋のお墓は五輪塔で、正面「透玄院殿前従四位拾遺豊州大守隆譽天郎空煙大居士」、裏面「阿部豊後守忠秋」、側面「延寶三乙卯歲五月三日」と刻まれていたようです。

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