解説
[1782~1837]江戸時代後期の大名。天明元年12月2日生まれ。大久保忠顕の長男。寛政8年相模(神奈川県)小田原藩主大久保家第2次7代。寺社奉行、京都所司代をへて文政元年老中。天保5年老中首座となり、米価の調節、二毛作の奨励、天保通宝の鋳造などをおこなった。天保8年3月19日死去。57歳。通称は秀次郎、新十郎。お墓
場所:最勝寺教学院(東京都世田谷区太子堂4-15-1) 墓正面:彰道院殿欽承良顯大居士 撮影:2021年 |
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