解説
[1882~1949]明治から昭和時代前期の軍人。明治15年1月4日生まれ。昭和10年支那駐屯軍司令官のとき梅津・何応欽協定をむすぶ。二・二六事件後に陸軍次官となり、粛軍人事と軍部の政治介入をすすめる。15年大将。19年参謀総長となり、20年全権として降伏文書に調印。A級戦犯、終身刑で服役中の昭和24年1月8日病没。68歳。大分県出身。陸軍大学校卒。旧姓は是永。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種ロ6号12側) 墓正面:梅津家之墓 撮影:2020年 |
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