解説
[1874~1937]明治から昭和時代前期の国家主義者。明治7年2月11日生まれ。内田忠光の弟。平岡浩太郎の甥。玄洋社でまなび、明治34年黒竜会を創立。日露戦争後は「日韓合邦」運動をすすめる。ロシア革命後シベリア出兵を主張し、大正デモクラシー運動に対抗。昭和6年大日本生産党を結成し総裁。昭和12年7月26日死去。64歳。福岡県出身。号は硬石。著作に「露西亜亡国論」「支那観」など。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(14区1種9側) 墓正面:内田良平之墓 撮影:2020年 |