解説
[1886~1970]大正から昭和時代の建築家。明治19年6月12日生まれ。45年早大教授となる。耐震壁をとりいれた鉄骨鉄筋コンクリート造の旧日本興業銀行本店(大正12年)などを設計し、高層建築の耐震構造法を確立した。戦後は東京タワーなどを設計。昭和16年建築学会会長、35年学士院会員、37年文化功労者。昭和45年8月25日死去。84歳。山梨県出身。東京帝大卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(13区1種6側) 墓正面:内藤家之墓 撮影:2020年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。