解説
[1892~1978]大正から昭和時代の社会運動家、政治家。明治25年2月25日生まれ。加藤シヅエの夫。八幡製鉄所争議を指導。昭和9年日本労働組合全国評議会を結成。11年衆議院議員(当選9回)。翌年日本無産党委員長となるが、人民戦線事件で検挙される。戦後、社会党結成にくわわり、芦田内閣の労相。26年右派社会党に参加。昭和53年9月27日死去。86歳。愛知県出身。日大中退。お墓
場所:瑞輪寺(東京都台東区谷中4-2-5) 墓正面:加藤勘十 撮影:2019年 |
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