解説
[1565~1637]織豊から江戸時代前期の武将、大名。永禄8年生まれ。本多正信の長男。徳川家康の側近として権勢をふるった。大坂冬の陣後の大坂城総堀の埋め立て、家康の葬儀・日光東照宮造営などを指揮。元和5年下野宇都宮藩15万5000石の藩主となったが、将軍秀忠にうとまれ8年に改易された。蟄居先の出羽横手(秋田県)で寛永14年3月10日病没。73歳。三河(愛知県)出身。通称は弥八郎。上野介。お墓
場所:本多正純墓所(秋田県横手市城南町8) |
場所:一乗寺(東京都港区麻布台2-3-22) 撮影:2017年 |