解説
[1398~1439]室町時代の武将。応永5年生まれ。足利満兼の長男。応永16年4代鎌倉公方をつぐ。上杉禅秀の乱では幕府の援軍をえたが、その後鎌倉府の権力強化をはかって幕府と対立。足利義教が6代将軍となると対決の姿勢をつよめる。永享の乱で幕府軍に敗れ、永享11年2月10日自害した。42歳。幼名は幸王丸。法名は道継。お墓
場所:瑞泉寺(神奈川県鎌倉市二階堂710) |
場所:別願寺(神奈川県鎌倉市大町1-11−4) 撮影:2016年 |
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