解説
[1758~1806]江戸時代中期から後期の力士。宝暦8年生まれ。5代横綱。大坂相撲から江戸相撲にうつり、天明2年、63連勝中の谷風をやぶった。寛政元年谷風とともに横綱となり、江戸相撲の黄金時代をつくった。幕内成績144勝13敗。身長178cm、体重135kg。文化3年3月12日死去。49歳。近江(滋賀県)出身。本名は川村喜三郎。お墓
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| 場所:円成院(大阪府大阪市天王寺区下寺町2-2-30) 墓正面:顕樹院本光覚現居士 撮影:2025年 |
コラム
5代横綱として名を残す小野川喜三郎。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。大阪府大阪市の円成院には小野川の墓がありますが、これは供養墓であり、本墓ではありません。相撲史跡研究会の『相撲の史跡 5』(1987年)が明かすところによると、円成院が道路の建設で縮小された際、小野川の墓も整理されて無縁墓群の中に置かれてしまっていました。しかし後年になって見つけ出され、今の場所に移されたのです。本墓は東京都港区の芝増上寺内池徳院(現在廃寺)にあったとされていますが、現在は行方不明となっています。
興味深いのは、池徳院にあった墓石の図が複数の文献に残されていることです。山口豊山の『夢跡集 [23]』(1900年)と東都掃墓会の『見ぬ世の友 巻の1−5』(1900年)に掲載されているこれらの図には、子供の死去日が異なって記録されています。『夢跡集』では三月十二日、『見ぬ世の友』では三月二十日となっているのです。もし三月十二日が正しければ、小野川喜三郎と子供が同日に亡くなったことになります。親子で同じ死去日とは、その日に何か不幸な出来事があったのでしょうか。
これにより、江戸相撲を支えた名横綱の本墓は行方不明となり、供養墓のみが大阪の地に残され、そして墓石に刻まれた謎の死去日の食い違いが、ついに永遠の問いかけとして残されることになったのです。
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| 出典:夢跡集 [23] |
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| 出典:見ぬ世の友 巻の1−5 |



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