解説
[1754~1836]江戸時代後期の大名。宝暦4年生まれ。田沼意次の4男。水野忠友の養子となったが父の失脚により離縁。田沼意定の跡をつぎ、文化元年陸奥下村藩(福島県)藩主田沼家5代をつぐ。文政6年父の旧領にかえり、遠江(静岡県)相良藩主田沼家第2次初代となる。大番頭、西丸若年寄、側用人をつとめた。天保7年8月24日死去。83歳。初名は忠徳。お墓
場所:勝林寺(東京都豊島区駒込7-4-14) 墓正面:麟徳院殿祥山紹禎大居士 撮影:2017年 |
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