解説
[1199~1287]鎌倉時代の僧。正治元年7月27日生まれ。浄土宗。良遍、道元らにまなぶ。嘉禎2年筑後(福岡県)の弁長に師事し、その後継者となる。常陸、上総、下総で教化活動ののち正元元年ごろ鎌倉にはいり、北条朝直の帰依をうけて悟真寺(現光明寺)をひらいた。弘安10年7月6日死去。89歳。石見(島根県)出身。字は然阿。諡号は記主禅師。著作に「選択伝弘決疑鈔」など。お墓
場所:光明寺(神奈川県鎌倉市材木座6-17-19) 撮影:2015年 |
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