蒲生忠知(がもう ただとも)

2019/03/25

2014年 愛媛県 大名

解説

[1605~1634]江戸時代前期の大名。慶長10年生まれ。蒲生秀行の次男。母は徳川家康の娘振姫。寛永4年兄の蒲生忠郷が没し、嗣子がないため会津60万石を没収されたが、かわりに忠知に伊予(愛媛県)松山20万石と近江(滋賀県)日野4万石があたえられた。寛永11年8月18日死去。30歳。忠知にも嗣子がなく、蒲生家は断絶した。名は「ただちか」ともよむ。

お墓

場所:興聖寺(愛媛県松山市末広町14-1)
墓正面:興聖院殿前拾遺華岳宗栄大居士 撮影:2014年

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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