解説
[1605~1634]江戸時代前期の大名。慶長10年生まれ。蒲生秀行の次男。母は徳川家康の娘振姫。寛永4年兄の蒲生忠郷が没し、嗣子がないため会津60万石を没収されたが、かわりに忠知に伊予(愛媛県)松山20万石と近江(滋賀県)日野4万石があたえられた。寛永11年8月18日死去。30歳。忠知にも嗣子がなく、蒲生家は断絶した。名は「ただちか」ともよむ。お墓
場所:興聖寺(愛媛県松山市末広町14-1) 墓正面:興聖院殿前拾遺華岳宗栄大居士 撮影:2014年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。