解説
[1672~1760]江戸時代中期の医師。寛文12年生まれ。江戸にでて町医として開業。享保6年建言書を幕府に提出。そのうち貧病人をすくう施薬局設立がみとめられて小石川薬園内に施薬局がつくられ、小石川養生所と名づけられる。子の丹治とともに世話人をつとめた。宝暦10年6月14日死去。89歳。近江(滋賀県)出身。名は広正。号は雲語。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種5号4側) 墓正面:家族之墓 小川笙船藤廣正 撮影:2014年 |
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