解説
[1880~1955]明治から昭和時代の教育者。明治13年5月1日生まれ。明治30年報知新聞社に入社。36年妻羽仁もと子と「家庭之友」(のち「婦人之友」と改称)を創刊。41年婦人之友社を創業。妻と創設した自由学園の卒業生や「婦人之友」友の会会員による生活文化運動をすすめた。長女に羽仁説子。昭和30年10月26日死去。75歳。山口県出身。著作に「雑司ケ谷短信」。お墓
場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種1号10側) 墓正面:羽仁吉一 撮影:2014年 |
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