解説
[1592~1652]江戸時代前期の大名。天正20年1月25日生まれ。松平定勝の3男。慶長14年下総山川1万5000石の藩主となる。常陸下妻、遠江掛川、山城淀、美濃大垣をへて、寛永12年伊勢(三重県)桑名藩主松平(久松)家初代。11万石。山鹿素行にまなび、詩文集に「政余雕玉」。慶安2年施政方針25ヵ条「牧民後半」をまとめた。慶安4年12月25日死去。60歳。通称は三郎四郎。号は俊峰。越中守。お墓
場所:照源寺(三重県桑名市東方1350) 撮影:2014年 |
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