下瀬雅允(しもせ まさちか)

2017/07/12

2008年 東京都

解説

[1860~1911]明治時代の化学技術者。安政6年12月16日生まれ。大蔵省印刷局に勤務ののち、海軍兵器製造所の技手に転じ、火薬の研究に専念。ピクリン酸を主成分とする高性能の下瀬火薬を発明。この火薬は明治26年海軍に採用され、のち日露戦争の海戦で威力を発揮。海軍下瀬火薬製造所長をつとめた。明治44年9月6日死去。53歳。安芸(広島県)出身。工部大学校卒。

お墓

場所:染井霊園(東京都豊島区駒込5-5-1)(1種イ12号2側)
墓正面:従四位勲二等工学博士下瀬雅允之墓 撮影:2008年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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