解説
[1860~1911]明治時代の化学技術者。安政6年12月16日生まれ。大蔵省印刷局に勤務ののち、海軍兵器製造所の技手に転じ、火薬の研究に専念。ピクリン酸を主成分とする高性能の下瀬火薬を発明。この火薬は明治26年海軍に採用され、のち日露戦争の海戦で威力を発揮。海軍下瀬火薬製造所長をつとめた。明治44年9月6日死去。53歳。安芸(広島県)出身。工部大学校卒。お墓
場所:染井霊園(東京都豊島区駒込5-5-1)(1種イ12号2側) 墓正面:従四位勲二等工学博士下瀬雅允之墓 撮影:2008年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |