解説
[1874~1936]明治から昭和時代前期の軍人。明治7年4月16日生まれ。ドイツ、オランダの駐在武官をへて、陸軍大学校長、航空本部長などを歴任し、昭和6年陸軍大将となる。軍事参議官から、10年教育総監に就任。統制派の中心と目され、11年2月26日皇道派の青年将校に暗殺された(二・二六事件)。63歳。愛知県出身。陸軍大学校卒。旧姓は和田。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(12区1種10側) 墓正面:陸軍大将渡辺錠太郎之墓 撮影:2019年 |
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