解説
[1865~1936]明治から昭和時代前期の外交官、政治家。慶応元年8月10日生まれ。駐米大使などをへて明治44年第2次西園寺内閣の外相。昭和6年満鉄総裁。翌年斎藤実内閣の外相となり、「日本は焦土となっても満州をまもる」として満州国を承認し、国際連盟脱退を断行した。昭和11年3月12日死去。72歳。肥後(熊本県)出身。帝国大学卒。名は「やすや」ともよむ。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(11区1種1側) 墓正面:内田康哉墓 撮影:2019年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |