内田康哉(うちだ こうさい)

2016/10/17

2019年 外交官 政治家 東京都

解説

[1865~1936]明治から昭和時代前期の外交官、政治家。慶応元年8月10日生まれ。駐米大使などをへて明治44年第2次西園寺内閣の外相。昭和6年満鉄総裁。翌年斎藤実内閣の外相となり、「日本は焦土となっても満州をまもる」として満州国を承認し、国際連盟脱退を断行した。昭和11年3月12日死去。72歳。肥後(熊本県)出身。帝国大学卒。名は「やすや」ともよむ。

お墓

場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(11区1種1側)
墓正面:内田康哉墓 撮影:2019年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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