解説
[?~?]平安後期から鎌倉時代の武士。下野(栃木県)那須荘を領した那須資隆(高)の子。弓の名手。「平家物語」によれば、元暦2年の源平屋島の戦いで平家方の船上にたてられた扇の的を馬上から射おとし、敵味方から賞賛された。能や歌舞伎でも知られるが、実像はあきらかではない。名は宗隆(高)。通称は余一、与市、余市ともかく。お墓
場所:即成院(京都府京都市東山区泉涌寺山内町28) |
場所:一花院跡(山形県米沢市中央5-4) 撮影:2010年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
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