解説
[1771~1853]江戸時代後期の大名。明和8年6月18日生まれ。徳川重倫の次男。徳川治貞の養子となり、寛政元年紀伊和歌山藩主徳川家10代。学習館、医学館など藩校をたて学問を奨励。堀江平蔵を登用して藩政改革を推進。隠居後も藩政の実権をにぎる。茶人としても知られた。従一位、権大納言。嘉永5年12月7日死去。82歳。号は楽只。お墓
場所:長保寺(和歌山県海南市下津町上689) 撮影:2010年 |
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