解説
[1762~1848]江戸時代後期の医師。宝暦12年生まれ。和田東郭にまなぶ。のち西洋眼科をおさめ、安芸広島藩医から幕府奥医師となる。法眼。散瞳薬の処方を伝授されたシーボルトに葵紋服をおくったためシーボルト事件に連座、処罰された。嘉永元年8月17日死去。87歳。安芸出身。名は義寿。字は九如。別号に桑翁。お墓
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場所:築地本願寺和田堀廟所(東京都杉並区永福1-8-1) 撮影:2023年 |
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