解説
[1868~1904]明治時代の軍人。慶応4年5月27日生まれ。広瀬勝比古の弟。ロシアに留学後、ロシア駐在武官となる。戦艦朝日の水雷長として日露戦争に従軍。第2回旅順港閉塞作戦で福井丸を指揮、同船の沈没間際まで行方不明の部下杉野孫七をさがしつづけ明治37年3月27日戦死。37歳。死後中佐となり、軍神とたたえられた。豊後(大分県)出身。海軍兵学校卒。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ21号9側) 墓正面:海軍中佐贈正四位廣瀨武夫墓 撮影:2020年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |