解説
[758~811]奈良から平安時代前期の武人。天平宝字2年生まれ。坂上苅田麻呂の子。延暦10年征夷副使となり13年蝦夷を討つ。15年陸奥出羽按察使、陸奥守、鎮守将軍を兼任し、16年征夷大将軍。21年陸奥胆沢城、22年志波城をきずく。24年参議、大同2年右近衛大将。5年大納言となり、薬子の変を鎮圧した。京都の清水寺を創建したという。弘仁2年5月23日死去。54歳。贈従二位。お墓
場所:坂上田村麻呂公園(京都府京都市山科区勧修寺東栗栖野町) 墓正面:征夷大将軍正二位左大臣坂上田村麻呂公墓 撮影:2010年 |