解説
[1909~1942]昭和時代前期の小説家。明治42年5月5日生まれ。漢学者中島撫山の孫。昭和8年横浜高女の教師となる。持病の喘息にくるしみながら創作にはげむ。16年南洋庁国語教科書編集書記としてパラオに赴任。17年帰国。このころから「山月記」「光と風と夢」がみとめられるが、同年12月4日死去。34歳。遺稿に「李陵」がある。東京出身。東京帝大卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(16区2種33側) 墓正面:中島敦 撮影:2020年 |
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