解説
[1686~1703]江戸時代前期の武士。貞享3年生まれ。赤穂四十七士のひとり。父の矢頭長助とともに大石良雄にしたがう。病没した父の戒名をかいた紙を兜頭巾の裏におさめて討ちいったという。元禄16年2月4日水野邸で切腹。18歳。名は教兼。お墓
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| 場所:泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1) |
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| 場所:浄祐寺(大阪府大阪市北区堂島3-3-5) 墓正面:刃擲振劔信士 撮影:2026年 |
メモ
父・矢頭長助の墓も同墓域にあります。長助は元禄15年(1702年)に亡くなりましたが、60年後の宝暦12年(1762年)、讃岐の河田正休が荒廃していた墓を見かねて再建したと伝えられています。![]() |
| 矢頭長助の墓 撮影:2026年 |


