解説
[1839~1865]江戸時代後期の大名。天保10年生まれ。新庄直計の5男。4人の兄が早世したため、弘化2年7歳で常陸(茨城県)麻生藩主新庄家(第2次)8代をつぐ。藩内の風紀粛正、文武の奨励などを推進。元治元年の天狗党の乱では、幕命をうけて争乱のとりしずめにあたった。慶応元年7月4日死去。27歳。通称は亀次郎。お墓
場所:吉祥寺(東京都文京区本駒込3-19-17) 墓正面:紹慶院殿徳榮宗隆大居士 撮影:2023年 |
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