解説
[1827~1896]幕末の大名。文政9年12月28日生まれ。南部利済の3男。南部利義の弟。嘉永2年陸奥盛岡藩主南部家15代となる。海岸防備、京都守護につくし元治元年左近衛中将となる。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟にくわわり、新政府軍とたたかったが、敗れて明治元年隠居した。明治29年10月30日死去。71歳。初名は謹敦。通称は鉄五郎。歌集に「桜園集」。お墓
場所:護国寺(東京都文京区大塚5-40-1) 墓正面:正三位南部利剛墓 撮影:2022年 |
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