解説
[1740~1795]江戸時代中期から後期の儒者。元文5年生まれ。大内熊耳にまなぶ。上野(群馬県)高崎藩につかえ、信濃(長野県)飯田、薩摩(鹿児島県)などでおしえる。安永9年の著書「末賀能比連」で本居宣長の古道論を批判、論争をおこした。寛政7年7月8日死去。56歳。名は匡、匡麻呂。字は子人。通称は多門。お墓
![]() |
| 場所:光明寺(東京都港区虎ノ門3-25-1) 墓正面:寉鳴市川先生墓 撮影:2026年 |
歴史上のあの人物は、今どこに眠っているのでしょうか。全国3,700人以上の歴史人物・著名人の墓所を、現地調査と文献調査をもとに紹介しています。武将、文豪、政治家、実業家、芸能人まで幅広く掲載。お墓参りや歴史散歩、聖地巡礼に役立つ、日本最大級の歴史人物墓所データベースを目指しています。
墓マイラーが行く。