解説
[1661~1730]江戸時代前期から中期の大名。寛文元年5月28日生まれ。蜂須賀隆矩の長男。蜂須賀綱通の養子となり、延宝6年阿波徳島藩主蜂須賀家5代。後見の伯父蜂須賀隆重に新田5万石を分与し富田藩がたてられた。享保13年職を辞し、出家して操山と号した。享保15年11月7日死去。70歳。幼名は熊太郎。お墓
| 場所:興源寺(徳島県徳島市下助任町2-45) 墓正面:南溟院殿従四位拾遺操山廉節大居士 撮影:2022年 |
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