解説
[?~1621]織豊から江戸時代前期の僧。臨済宗。文禄の役に加藤清正の右筆として随行、のち京都東福寺、南禅寺の住持。方広寺鐘銘を撰し、文中の「国家安康」が徳川家康の怒りにふれ駿府に拘禁、のちゆるされた。元和7年3月25日死去。伊勢(三重県)出身。俗名は中尾重忠。号は不放子。お墓
場所:上宮寺(三重県津市乙部5-14) 墓正面:南禅寺清韓長老墳 撮影:2021年 |
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