解説
[1571~1628]江戸時代前期の大名。元亀2年生まれ。美濃十七条城主林政秀の次男。稲葉重通の養子。妻の福(春日局)との間に正勝らをもうけた。小早川秀秋につかえ、関ケ原の戦いで秀秋を徳川方へ寝返りさせた。その功により1万石をあたえられ、慶長12年十七条藩主。2万石に加増され、元和4年越後糸魚川藩主、寛永4年下野真岡藩主稲葉家初代となる。寛永5年9月17日死去。58歳。お墓
場所:現龍院(東京都台東区上野公園15-25) |
場所:釈迦堂(栃木県日光市本町1) 墓正面:現龍院輝宗道範居士 撮影:2019年 |