解説
[1860~1912]明治時代の法学者。安政7年2月28日生まれ。穂積陳重の弟。明治22年帝国大学教授となり憲法学を担当。君権絶対主義にたち、民法典論争では実施延期派の中心として、24年論文「民法出デテ忠孝亡ブ」(「法学新報」)を発表した。のち貴族院議員、宮中顧問官。大正元年10月5日死去。53歳。伊予(愛媛県)出身。東京大学卒。著作に「憲法提要」「憲法大意」など。お墓
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場所:泰宗寺(東京都豊島区駒込7-1-1) 墓正面:法學博士穂積八束墓 撮影:2024年 |
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