解説
[1704~1755]江戸時代中期の武士。宝永元年8月12日生まれ。薩摩鹿児島藩家老。宝暦3年藩主島津重年が幕府から木曾川治水工事を命じられると、総奉行となる。苦難の末に工事を完成させたが、40万両にものぼる莫大な出費と多数の犠牲者をだした責任をとって、宝暦5年5月25日自刃した。52歳。名は宗武、正輔。お墓
場所:大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町4) 墓正面:高元院殿節岑了操大居士 撮影:2008年 |
場所:海蔵寺(三重県桑名市北寺町10) 撮影:2014年 |
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