松井康載(まつい やすとし)

2021/07/04

2019年 最後の藩主 大名 東京都

解説

[1854~1880]明治時代の大名。嘉永7年10月11日生まれ。信濃(長野県)松本藩主戸田光庸の9男。松平康英の養子となり、明治2年武蔵川越藩(埼玉県)藩主松井(松平)家2代。12年隠居し、先代康英の長男康義が跡をつぎ、17年子爵となる。明治13年4月14日死去。27歳。

お墓

場所:吸江寺(東京都渋谷区東4-10-33)
墓正面:板倉家累代之墓 撮影:2019年

関連人物

コラム

川越藩の最後の藩主として知られる松井康載。多くの方は、彼のお墓が川越市にある光西寺(松井松平家の菩提寺)にあると想像されるのではないでしょうか。ところが、実際には全く異なる場所に眠っているのです。

明治19年(1886年)、松井康載は板倉花子との結婚を機に、板倉家(安中)へ入籍することになりました。これにより板倉家の家督を継ぎ、名前も「板倉勝観」と改めています。この経緯により、彼のお墓は板倉家の墓所である吸江寺に建立されました。

吸江寺にある墓誌には、次のように刻まれています。「本覺院殿黙堂湛然大居士 大正十二年九月三十日歿 十五代勝観」この墓誌からは、板倉家十五代当主としての彼の生涯がしっかりと記されており、川越藩主から板倉家当主へと変遷した、彼の波瀾に満ちた人生の軌跡を物語っています。

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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